ドイツ/ドレスデン
ドレスデン絵画館は、古典・近代絵画館、版画素描館、彫刻収集、宝物室(グリューネ・ゲヴェルベ)、陶磁器収集、工芸美術館などを含む総合美術館複合体である「ザクセン州立ドレスデン美術収集」の一部を形成する。そのいずれもが、ザクセン公の美術コレクションに源をもっている。
ザクセン公のコレクションは、1560年に時の選帝侯が宮廷内に宝物室を設け、骨董品、美術品、科学器具、書物、地図、自然の珍品などを収集したことに始まるが、そのような雑多な収集を整理し、現在見るようなドレスデン美術収集の基礎を作ったのは、ポーランド王も兼ね、ザクセン公国の絶頂期を築いたフリードリヒ・アウグスト一世(1694-1733年、選帝侯)であった。
建築家ペッペルマンに、城館、ツヴィンガー宮、宮廷教会、ピルニッツ離宮などを建てさせたフリードリヒ・アウグスト一世は、1722年に所有絵画の総目録を作成させ、その逸品1,938点をドレスデン中心部にあるひとつの建物に集めたが、これが今日のドレスデン絵画館の事実上の創設であった。相前後して、版画素描集週室、グリューネ・ゲヴェルベ、陶磁器収集、古代美術館も開設された。
フリードリヒ・アウグスト一世の絵画コレクションを引き継いで、さらにそれをヨーロッパ屈指の絵画館へと成長させたのは、その息子フリードリヒ・アウグスト二世(1733-1763年、選帝侯)である。彼は積極的な収集活動を展開し、絵画館の内容を充実させたが、とりわけ今日の絵画館の最も重要な部分となっているイタリア・ルネサンスの傑作の多く(ラファエルロの『システィーナのマドンナ』を含む)は、フリードリヒ・アウグスト二世によってドレスデンにもたらされたものである。1765年には、ドレスデン絵画館の最初のカタログが出版されたが、それは同時にザクセン公の収集活動の一段落をも示していた。
ナポレオン戦争後、ザクセンは立憲君主化され、それに伴って絵画館を含むドレスデンの美術館も国有化されたが、絵画館はゼンパーによる新しい建物(1847-1855年)に移され、近代国家の文化的中心としての偉容を獲得した。それとともに、同時代以降の絵画コレクションとして「新絵画館」も設けられた。
ドレスデン絵画館は、その後も第二次世界大戦中の作品の疎開、建物の破壊、ソ連への作品の移送と返還、建物の再建など、多難な歴史をたどりつつ成長してきた。ドイツが再統一された現在、ドレスデン絵画館は、老巧化した建物の改築と新絵画館部門の再編成などが行われ、新しい一歩を踏み出した。(有川 治男)