美術史の中の学術的な位置づけとか、作品の関連性とかに全く関係なく、ただ「ご長寿」だったというだけで、近現代に80歳以上生きた画家たちを追いかけているけれど、何か違った美術への興味の入口が見つからないかと、もう少し「ご長寿」画家に当たろうと思う。中には、誰もが知っている巨匠もいるし、忘れていた名前も出てくるけど、今日も「美術の皮膚」に触れてみる。
89歳(伊)ジョヴァンニ・ボルディーニ(1842~1931)
(伊)フェラーラで有名な画家一族の家系に生まれ、フィレンツェで学び、ロンドンを経てパリに移るとすぐにパリの社交界に馴染み、風俗画や風景画で使っていた独自のダイナミックなタッチを肖像画へと応用して名声を得た。
ドガの親友でもあり、印象派の画家たちとも親交があったけれど、マネに強く影響を受けた速筆の写実的な作品は印象派とは一線を画している。19世紀末から1914年に第一次世界大戦が勃発するまでの華やかなパリを意味する「ベル・エポック(善き時代)」の雰囲気をキャンバスに写した時代の証人でもある。
86歳(露)イリヤ・レーピン(1844~1930)
露官立美術アカデミーに反発してロシア各地を移動する「巡回美術展」を開いた「移動派」を代表する画家。
サンクトペテルブルクで学び、パリ遊学時に印象派に触れて、色彩と光の表現に感化されたけれど、古典的な写実の作風を変えないで、急進的な民主義思想から当時のロシア社会の矛盾を批判した作品を多く描き、1917年にロシア帝国が崩壊すると、社会主義リアリズムの規範的な画家として政治的にも評価された。
いや、むしろ「されてしまった」。ソビエト連邦も崩壊した近年は、思想的な背景よりもむしろ作品自体の価値が再評価されている。
81歳(米)メアリ・カサット(1845~1926)
彼女はフィラデルフィアの裕福な銀行家の家に生まれ、両親の教育方針で世界各国を旅して育てられた。
親の反対を押し切って画家を目指すとパリに移り官展(サロン)に何度も出品するが評価されず、ドガとの出会いをきっかけに印象派展に参加した(第4~6、8回)。女性らしい優しい視点で、(ドガと同様に)パステルで日常生活の中の母子を描いた作品が多く、浮世絵の影響も見られるジャポニスムの画家でもあるけれど、なによりアメリカに印象派絵画を広く知らしめた功績が大きい。
ただ、晩年は数々の病を患い、最後は目がほとんど見えなくなって1914年以降は作品を描いていない。
89歳(白)ジェームス・アンソール(1860~1949)
近代ベルギー美術を代表する画家。印象派に触発されて、当時の保守的なベルギー美術界に反発した「二十人展」の創立メンバーに参加した。
しかし、本人はパリとは無縁で、自宅屋根裏のアトリエに籠って、独自の画風で創作を続けた。幻想的な作品は、フランドル美術の古い伝統も感じさせつつ、その個性は表現主義やシュルレアリスムといった20世紀美術の先駆とも考えられている。若い頃には骸骨など死のイメージを含む作品を多く描き、異端の画家と呼ばれていたけれど、89歳まで長生きした。
81歳(諾)エドヴァルド・ムンク(1863~1944)
ノルウェーを代表する世紀末芸術(表現主義)の画家。パリでゴッホやロートレックの作品に影響を受けて、後期印象派が目指した「内的精神世界」を追求した。
ノルウェーだけでなくフランス、ドイツでも活躍し、ドイツでは「ベルリン分離派」に参加するなど20世紀美術を牽引する。「生命のフリーズ」と呼ばれる一連の作品で、一貫して死と病をテーマに創作を続けた。
彼の代表作である『叫び』(オスロ国立美術館/1893)は、モデルは本人で、実際の恐怖体験に基づいていると云われている。
ムンク自身も病弱だった上に、幼少期に母と姉を亡くすという不幸のトラウマが、世紀末の不穏な雰囲気の中で、孤独や不安を抱えた空気とリンクしたのかもしれない。第二次世界大戦中は、退廃芸術としてナチスに迫害されたり、アルコール依存症にもなったけれど、結局81歳まで長生きするのだから人生って不思議なものだ。
89歳(独)エミール・ノルデ(1867~1956)
デンマークに近いノルデの出身で、本名はエミール・ハンセン。ミュンヘンやパリで学び、印象派の作風を吸収しながら、ドイツ表現主義に属する画家グループ「ブリュッケ(橋)」に参加したけれど、1年で脱会して独自の道を歩んだ。
油彩だけでなく水彩画や木版画にも長けていて、特徴的な鮮烈な色彩と単純化されたフォルムには、ゴッホやポリネシア美術の影響が見られる。まだ小さな政党だった頃にナチスの党員だったこともあるけれど、彼の個性は退廃芸術と見なされてナチスの迫害を受けた。
80歳(仏)ピエール・ボナール(1867~1947)
19世紀の写実主義を否定して、美術の装飾性を主張する「ナビ派」を代表する画家。中でも、平面的な装飾性を追求するボナールは、日本の浮世絵版画からの影響が大きいと云われている。日常の生活の中の幸福感を、豊かな色彩で描き続け、20世紀に入ると人気を得る。家族や親友の死を乗り越えて、晩年まで精力的に創作を続けた。
「予言者」を意味する「ナビ派」は、(仏)ポール・ゴーギャン(1848~1903)を中心に風景画のメッカ(仏)ポン・タヴェンに集まった画家の一人(仏)ポール・セリュジュ(1864~1927)が、ゴーギャンの美術理論に感銘を受け、彼の言葉を一種の啓示として興した画派で、写実ではなく画面そのものの秩序を重んじた。
ナビ派を代表する作品でもある、ポール・セリュジュ『護符(タリスマン)』(オルセー美術館/1888年)は、まさにゴーギャンの指導によって描かれた。
その時にゴーギャンは「あの樹はいったい何色に見えるかね。多少赤みがかって見える?それなら画面には最も綺麗な赤色を置きなさい」と教えたと云われている。
そういえば全く同じことを、懇意にさせてもらっている(日)木村タカヒロ画伯(1965~)から言われたことを思い出した。「そんなに絵が好きなら描いてみたら良いのに」と悪戯っぽく笑う彼に誘われて、うっかり写生に出かけた時に、どうして良いものか考え込んでいた僕に向かって、「考えることはないですよ。キャンバスに色を置けば良いのです」と今度はひどく真面目な顔で教えてもらった。彼が、「ポン・タヴェンの啓示」を知っていたかどうかは今度会った時に聞いてみようと思う。
ところで残念なことに僕の絵は、せっかく教えてもらったのに、日没までにでき上らなかった。まったく僕の力不足でしかないのだけれど...
(つづく)