西洋美術史の扉を開いた(伊)チマブーエ(1240頃~1302頃)から、ポップ・アートを代表する(米)アンディ・ウォーホール(1928~1987)まで、たった301人の私的リストだけれど、(数え年で)画家の平均寿命を計算してみると、20世紀に入って飛躍的に伸びる一般的な平均寿命と比べて、それほど時代を通じて変わっていない。ただ、90歳を超えて長生きをした画家は、中世と近世には一人もいなくて、7人すべてが近現代の画家だから、医療の技術の発達が画家の寿命にも少なからず影響しているんじゃないかと思う。
平均寿命
・中世(476~1452):60.53歳(64人)
・近世(1453~1788):63.42歳(128人)
・近現代(1789~):66.50(106人)
72歳(2016年の世界平均寿命)以上のご長寿
・中世(476~1452):13人(64人中)20.3%
・近世(1453~1788):38人(128人中)29.7%
・近現代(1789~):50人(106人中)47.2%
80歳以上のご長寿
・中世(476~1452):3人(64人中)4.7%
・近世(1453~1788):21人(128人中)16.4%
・近現代(1789~):30人(106人中)28.3%
90歳以上のご長寿
・中世(476~1452):0人(64人中)0%
・近世(1453~1788):0人(128人中)0%
・近現代(1789~):7人(106人中)6.7%
中世でのご長寿画家ベスト3は
80歳(伊)ジョヴァンニ・ディ・パオロ・グラツィア(1403頃~1483)
85歳(伊)ヴィンチェンツォ・フォッパ(1430頃~1515)
86歳(伊)ジョヴァンニ・ベリーニ(1430頃~1516)
近世でのご長寿ベスト3は
87歳(瑞)ジャン・エティエンヌ・リオタール(1702~1789)
87歳(仏)ジャン・オーギュスト・ドミニク・アングル(1780~1867)
88歳(伊)ティツィアーノ・ヴェチェッリオ(1488頃~1576)
89歳(伊)ミケランジェロ・ブオナローティ(1475~1564)
近現代でのご長寿ベスト3は
94歳(墺)オスカー・ココシュカ(1886~1980)
97歳(白)ポール・デルヴォー(1897~1994)
そして、中世・近世・近現代を通じて最もご長寿な画家は、「愛の画家」マルク・シャガール。
98歳(露/仏)マルク・シャガール(1887~1985)
20世紀最大のユダヤ人画家。ロシアから、キュビズムをはじめとする当時の美術の最先端パリに移住したけれど、ナチスの迫害を避けてアメリカに亡命。戦後は再びフランスに戻って国籍を取得し、パリのモンマルトル、モンパルナスを中心として活躍した(フランスから見た)外国人の画家集団「エコール・ド・パリ」の中心的な存在となる。
ピカソをして、マティスの色彩の後継者だと言わしめたように、ユダヤ文化と前衛芸術を融合させた、幻想的で色鮮やかな作品は、愛や結婚をテーマにすることが多く「愛の画家」と呼ばれる。
ただ、同時代に90歳を超えて長生きしたシャガールとピカソ(リスト中4番)は、お互いの才能を認めながらも、未だに本当は仲が良かったのか?悪かったのか?と議論になるくらい、接近したり離れたりを繰り返した。
昔、ある女優さんに美術番組の進行役をお願いしたら、シャガール以外を好きだとは言えないって断られたことがあったという情報は、いかにも「美術の皮膚」っぽい。
81歳(仏/米)マルセル・デュシャン(1887~1968)
フランス出身だけれど、第一次世界大戦の最中に活動拠点をニューヨークに移して(後に米国に帰化)、ニューヨーク・ダダイズムの中心的役割を担った。
ピカソと並んで20世紀美術に最も影響を与えた画家の一人と云われている。ただ、ギネスブックに載るほど多作なピカソに比べて、デュシャンは若くして創作を止めてしまっていて、特に絵画に関しては30歳を前にして放棄している。
ルネサンスから続いた「人間賛歌」を表現してきた芸術は、第一次世界大戦をきっかけに、(お互いが殺し合うような)人間の理性を否定的にとらえ、そこから生まれる芸術さえも否定するダダイズムが興った。(仏)キュスターヴ・クールベ(1819~1877)以降の美術を否定したデュシャンの「芸術を捨てた」態度は、そんな時代の空気と合致して、彼が伝説的に語られる理由にもなっている。
そのきっかけは、キュビズムでありながらキュビズムの同志から酷評を受けた在仏時代の作品『階段を降りる裸体 No.2』(フィラデルフィア美術館/1912年)が、翌年にニューヨークで「最新のヨーロッパ美術」として絶賛されたことにある。
以後活動拠点をニューヨークに移して、男性用の小便器に「R.Mutt」とサインしただけの『泉』(所在不明/1917)に代表される、どこにでも売っているような「商品」に少し手を加えただけの「レディ・メイド(既製品)」シリーズを発表し続けて、芸術そのものを否定しながら、新しい芸術の価値を拓いた。
90歳(伊)ジョルジオ・デ・キリコ(1888~1978)
五感で捉えられる現実の背後にあるものを暗示、探求する形而上絵画派の創始者。(伊)カルロ・カルラ(1881~1966)や、(伊)ジョルジオ・モランディ(1890~1964)も加わった形而上絵画は、後にシュルレアリスムへと繋がり、(西)サルバドール・ダリ(1904~1989)、(白)ルネ・マグリット(1898~1967)にも多大な影響を与えた。
両親はイタリア人だけれどギリシア生まれで、象徴主義の(瑞)アルノルト・ベックリンや(独)マックス・クリンガー(1857~1920)の影響と共に、哲学者(独)ニーチェの思想の影響も受けている。40歳を迎える頃には、それまでを否定するように古典的な作風に転じるけれど、70歳になって再び形而上絵画に回帰した。
個人的には、ギリシア生まれのキリコが古代ギリシアの古典文献学者としても有名なニーチェに傾倒したように、画家自身の存在に対する不安のような内面世界を、必要以上に垣間見る気がして、形而上絵画は少し苦手だ。
85歳(独/仏)マックス・エルンスト(1891~1976)
はじめ表現主義的な作品を描き、同郷の(独)アウグスト・マッケ(1887~1914)や、(露)ワシリー・カンディンスキー(1866~1944)が結成したドイツ表現主義画家のグループ「青騎士」とも関わりを持ったけれど、ダダイズム、キュビズムを経て、素材の表面の凹凸を利用した無作為の「フロッタージュ(擦る)」技法を発明すると、シュルレアリスムのグループに参加して、独自の幻想的な世界を描き続けた。
第二次世界大戦が始まると、退廃芸術家として独ナチスに追われアメリカに亡命。戦後に一度はアメリカ国籍を取得するけれど、戦時中のヨーロッパでは左派志向として迫害されていたシュルレアリストたちとの交流を求めてパリに戻りフランスに帰化した。
90歳(西)ジョアン・ミロ(1893~1983)
シュルレアリスムの提起者である詩人アンドレ・ブルトンに「もっともシュルレアリストらしい」画家と称される一方で、本人は画家の範疇に縛られるのを嫌い、活動は陶器、彫刻、壁画と多義に渡る。
形而上絵画、ダダイズムの流れを汲むシュルレアリスムは、前述の詩人アンドレ・ブルトンによって「理性による支配を受けず、自身の美意識や先入観を無視して記述される志向」と規定されていて、人間の理性やそれに基づく芸術を真っ向から否定している。
精神分析学者(墺)ジークムント・フロイトの「自由連想法」のような無意識の反射を利用して未知の想像力を引き出し、偶然の効果を絵画に与えようとするシュルレアリスムの代表的な手法である「オートマティズム」において、ジョアン・ミロはまさに「らしい」画家であると言える。
同じシュルレアリストの(白)ルネ・マグリット(1898~1967)や(西)サルバドール・ダリ(1904~1989)の写実的な作品と比べるとそれは顕著で、ミロの作品は抽象化した記号のようで(この時代に多くの画家が目指した)幼児の素朴ささえ感じさせる。この流れは、ニューヨーク発の抽象表現主義を花開かせた(米)ジャクソン・ポロック(1912~1956)らの(作品よりも創作過程を重視する)アクション・ペインティングに繋がっていく。
私見ながら、無作為(=無為自然)を志向する「オートマティズム」は、フランスが芸術大国を目指した過程でジャポニスムに頼ったように、美意識の中心に「人工物」をおく西洋の美意識から、美意識の中心に「自然」がある東洋的なものに向かっていると、僕は思っている。
アジアでは既に(西洋では古代にあたる)紀元前600年頃に老子、紀元前300年頃には荘子が、人為を忌み嫌う「道家の思想」を説いているのだから、最新のコンテンポラリー(現代)アートで活躍する、アジア人が多いのも至極当然なことかもしれない。
(つづく)