1982年に世界遺産に登録された、花の女神「フローラの街」という意味を持つイタリア中部トスカーナ州都フィレンツェで、過度な教会支配から人々を解放した「ルネサンス」は花開いた。ギリシア・ローマ時代から普遍的な教養を得て、ヒューマニズムの「再生(ルネサンス)」を目指した文化運動は、やがてヨーロッパ中に広がって「宗教改革」にも繋がっていく。
意外にイタリアは、19世紀まで統一されていなかったので、フィレンツェは独立した国家で、そこに君臨していたのが、ルネサンスを力強く牽引したメディチ家だ。
紋章には「丸薬」がデザインされているから、元々の家業は医師(メディチ)か薬問屋さんじゃないかとも云われているけれど、王侯貴族やローマ法王などの財産を管理して、銀行業で富を得ると、地元フィレンツェを自由で活気溢れる国家にするべく、建築家や芸術家など多くの文化人を庇護した。教会のお金で、教会からの解放が実現されるのは皮肉なことだけれど。
2008年にテレビ番組の海外ロケで、フィレンツェに行った時に、現地コーディネーターのイタリア人女性が流暢な日本語で、ロシアの文豪ドストエフスキーがフィレンツェを訪れた時に「帰ることを考えると死にたくなる」と言ったと教えくれた。
確かに、歴史を感じる建造物に囲まれて、街の至るところに芸術作品が溢れていて、まるでルネサンス時代のフィレンツェに“いる”ような気分になるし、しかも僕は出演者のアテンドが仕事でフィレンツェにいたほとんどの時間を街のオープン・カフェで世間話をしながら過ごしたから、居心地が良いのは当たり前だけれど、まさかそこまで・・・と思っていたら、翌年に公開された3D映画『アバター』に描かれた世界が美しすぎて「死にたくなった」人が続出したというニュースを聞いた。
しかも、『アバター』の宣伝文句は「観るのではない。そこに“いる”のだ。」だったから、ますますフィレンツェの景色を思い出す。そんなに簡単に「死ぬ」とか言っちゃいけないけれど、そこまで感情を揺さぶるコスト(製作費)は250億円だと聞いたらから、フィレンツェの街づくりには一体いくらかかったのだろうと要らぬことも気になった。
恐らく僕の庶民的な心配とは無縁のメディチ家の住居であり、繁栄の象徴だった「メディチ=リッカルディ宮殿」礼拝堂の壁画『東方三博士の旅』ゴッツォリ(メディチ=リッカルディ宮殿蔵/1459~1462年)には、“フィレンツェの父”と呼ばれるコジモ・デ・メディチ(1389~1464)と共に、その孫が描かれている。彼こそが、15世紀後半メディチ家の絶頂期に君臨した、ルネサンスの立役者“豪華王”ロレンツォ・デ・メディチ(1449~1492)だ。
宮殿の中庭には、古代ギリシア神話に登場する詩人オルフェウスの彫像が置かれ、柱の上にはメディチの紋章と古代神話をモチーフにした浮き彫りが交互に配置されているから、古代ギリシア・ローマ時代への憧れの強さが窺い知れる。
(つづく)