コラム, 美術の皮膚

【コラム】美術の皮膚(95)「世紀末芸術~継がれるジョン・ラスキンの思想~」

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夏目漱石だけじゃなくても、当時の最先端を走る近代国家イギリスに留学した日本人たちが、観るモノ全てに感動して日本に持ち帰ったとしても不思議じゃないから、その頃に流行っていた「ラファエル前派兄弟団」の評価をそのまま信じる訳にもいかない。例えば、日本で絵を描くといえば“水彩画”が多いと思うのだけれど、これはその頃盛んにイギリスで使われていた画材だ。冒頭ご紹介した同時代のイギリスの画家たちも水彩画をたくさん描いた。

産業革命で忙しない世の中で油絵の具が乾くのが待てなかったのか?油彩画ではイタリアやフランスに追いつけないから同じ土俵で戦わなかったのか?日本古来の水墨画と似ているから親近感があるのか?理由は定かじゃないけれど、日本で油彩画を描くとなるとハードルが高いのに、海外ではもう少しポピュラーだ。美術市場でも油彩画の方が格が高い。

だから“イケてるサークル活動”が次世代に遺したものは、持て囃された彼らのたったスタイルじゃなくて、彼らも気付いていなかった普遍性にあるんじゃないかと好奇心が頭を擡げたから。使い走りの坂本龍馬じゃなくて、裏に隠れた勝海舟みたいな大物がいるんじゃないかと“師匠”に聞いた。

「それならジョン・ラスキンじゃないか?」

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ジョン・ラスキン / image via wikipedia

どこかで聞いたことがあると思ったら、ジョン・ラスキンは前述「近代画家論」の著者だ。本業は社会思想家であり美術批評家だけど、“科学者”でもなく“哲学者”でもない“社会思想家”が美術に関わったのは、「芸術は富裕層だけの特別なものではなく、労働者の生活を豊かにするために、生活の中にこそ必要だ」という彼の思想が根底にある。

これもどこかで聞いたことがあると思ったら、ロセッティの後輩で「モリス商会」を創ったウィリアム・モリスの“クラフツ・アンド・アーツ運動”の基本的な“思想”だ。“ラファエル前派兄弟団”も“クラフツ・アンド・アーツ運動”も、中身はジョン・ラスキンでできていると言っても過言じゃないだろう。

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ウィリアム・モリス / image via wikipedia

しかし残念ながら“ラファエル前派兄弟団”と同様に「モリス商会」は、その思想と矛盾するように、高額な家具ばかりを作るから、言動不一致の金持ちの道楽と陰口もたたかれた。

そもそも、自分の新居を手作りの家具で飾りたいというのが動機になっているから“芸術運動”というよりは、“職人気質”と呼んだ方が相応しいんじゃないかと個人的には思う。

今でこそモリスは“近代デザインの父”とは呼ばれているけれど、ご本人は社会主義運動に傾倒して5年くらいで「モリス商会」を他人に任せているから、結局20世紀に引き継がれた“思想”は、ジョンラ・スキンのものだ。表出する現象(作品)だけに眼を取られていると、底に流れている本質を見過ごすことがある。

「生活の中に芸術を」と言ったラスキンは、決してオシャレな生活を志向したのではなくて、産業革命後の忙しないイギリスで、労働力さえ消費されていく中に“心の豊かさ”を求めようとしていたはずだと思うのは僕だけじゃない。民衆の生活の中に“美”を求めた柳宗悦の“民藝運動”も、ジョン・ラスキンの影響を多大に受けていると云われている。

故郷の岩手県から農民芸術の実践を試みた作家の宮沢賢治にも、ウィリアム・モリスの影響が云われることがあるけれど、小学校時代の恩師の影響で“賢治”贔屓の僕は、モリスのような表層的なことではなく、宮沢賢治はきちんとジョン・ラスキンの“思想”にこそ影響されているのだと思う。

「まづもろともにかがやく宇宙の微塵となりて無方の空にちらばらう」(宮沢賢治「農民芸術概論綱要」)という謙虚さをモリスから感じられないのは僕の想像力不足かもしれないけれど、宮沢賢治の私塾「羅須地人協会(らすちじんきょうかい)」は「ラスキン」を捩ってるんじゃないかとは本気で思っている。

つづく

高柳茂樹
一般社団法人日本美術アカデミー
プランニングディレクター
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