コラム, 美術の皮膚

【コラム】美術の皮膚(127)ゴッホとゴーギャン~もっとも神に近い仕事~

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ドイツ表現主義に大きな影響を与えたと云われているゴッホは、見たままを正確に描く写実主義や、“光”のように視覚的な特徴を描いた印象派ではなく、目に見えない心模様を“表現”しているから、作品の横には必ず画家の人生があるのは至極当然だ。

作品の価値に画家の人生も含めて語られる流行は、「画家に人生は要らない」と言ったストイックな(仏)エドガー・ドガ(1834~1917)とはまったく対照的だけれど、美術作品を自己主張の道具として使いこなすようになったのは、僕の知る限り“ラファエル前派”からクリムト経由のピカソの流れじゃないかと思う。だから彼らは女性にモテたのだというと過言かもしれないけれど。

そうなると、ゴッホの人生はどうだったかというと、若い頃に牧師を目指したけれど叶わず、挫折の末にようやく画家を天職として得た10年後、陽の目を見ぬまま自死してしまうのだから、誰がどう見ても不遇だろう。

幸せか不幸せかは当人の気持ち次第なのでいい加減なことは言えないけれど、少なくともゴッホは暖かい家庭を望みながら、女性にモテず、実弟の他に理解者も少なく、天涯孤独だったと云われている。ゴッホにしてみれば余計なお世話だろうけれど、幸福と絶望の間を激しく揺れながら、結局は後者が多めの人生を通じて、その両者を絵具に塗り込めていったからこそ、エネルギーに溢れた作品が生まれたのだと思うと、僕は心穏やかにゴッホの作品を観賞することができない。

ゴッホを善く言えば“純粋”で、はっきり言えば“独り善がり”で、その激しい気性のせいで仕事も恋も上手くいかない。挙句の果てには病院に入ることになる。

オランダで牧師の子として生まれたゴッホは、はじめ画商に勤めたけれど、商売なのだから当たり前のことであるにもかかわらず、商業主義に嫌気がさしてしまって仕事に身が入らず無断欠勤で解雇される。これを“純粋”だからと言ってしまうのは依怙贔屓が過ぎる。

後に画家を目指すのも、この時に美術に関心を持ち始めたのか、元々美術に関心があったのかは判らないけれど、少なくともピカソのように幼少時代から英才教育を受けたという話は聞かないから、恐らく前者だと思う。彼が11歳の時に父親の為に描いたとされるデッサンもピカソの幼少時の油彩画に比べてしまうと年相応で凡庸に見えてしまう。

Van Gogh Barn and farmhouse
「Barn and Farmhouse」 /Image via wikipedia

横恋慕の末に失恋をしたり、夜遊びに明け暮れたこの自暴自棄な時期に、ゴッホが拠り所にしたのが「聖書」だ。元々父だけではなく祖父までが牧師の家に生まれたのだから遅咲きと言えないでもないけれど、失職後に牧師を目指すことになる。

しかし、出題者の意図を汲んで回答しなければ成績など良い訳もなく、“独り善がり”には叶わぬ夢だった。それならばと牧師の資格のないまま(下位教職者である)“伝道師”を目指すことになるといえば聞こえは良いけれど、本人の自覚は別にしても、傍から見ると楽な方を選び続けるから、不遇といっても自業自得の感は否めない。そして案の定“独り善がり”の過剰な言動で、伝道師の道さえ絶たれた。

社会に適合できないゴッホは、無職のまま肉親たちの庇護の下で絵を描きだす。迷走したゴッホの生涯を通じて、ぶれなかったのは“信仰心”だろう。むしろ、それがなければもっと早いうちに精神に異常をきたしたのではないかと思えるくらい、彼の作品は“信仰心”で溢れている。

ゴッホが画家という職業を選んだ理由には、特にキリスト教世界においては、無から有を生み出す創造者として一番神に近い存在だと云われていることが大きく関わっていると思う。

本音のところは本人を問い詰めないと解らないけれど、家族に依存していて腐るほどある時間の中での暇つぶしだとか、家族の目が冷たいから何もしない訳にはいかずとりあえず描いたなどと意地悪を言わないのは、むしろ俗世との遮断がひょっとしたら本当に彼を神に近付けたのかもしれないと思うからだ。

つづく

高柳茂樹
一般社団法人日本美術アカデミー
プランニングディレクター
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