ミケランジェロといえば、彫刻『ダヴィデ像』(1504年/アカデミア美術館)や、ヴァチカン宮殿システィーナ礼拝堂の『最後の審判』(1537~1541)で有名なルネサンスの三大巨匠(伊)ミケランジェロ・ブオナローティ(1475~1564)が真っ先に思い浮かぶけれど、もう一人の偉大な画家(伊)ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ(1573~1610)は「カラバッジョの前と後では芸術の様子が違う」とまで言わしめるほどだから、もしミケランジェロよりも先に生まれていたとしたら、カラバッジョがミケランジェロと呼ばれていて、ミケランジェロはブオナローティと呼ばれていたかもしれないと言ったら過言だけれど。
大きな芸術の転換期となったルネサンスも、その後期はレオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエロといったあまりにも偉大な画家たちの存在が仇となって、彼らを真似る一方の面白みのない作品ばかりになってしまう。
あまりにも残念なこの時期をルネサンスとは切り離して「マニエリスム(形式主義)」と呼んだりする。20世紀に入ってからようやく(伊)パルミジャニーノ(1503~1540)『長い首の聖母』(1535年/ウフィッツ美術館)のような、複雑で歪んだ画面構成が16世紀半ばの時代を反映したルネサンスとバロック期の橋渡しとして再評価されているけれど、今の“マンネリ”や“マニュアル”の語源になっているのだから決してそれほど良い意味ではない。
むしろ巨匠の模倣でしかないマニエリスムを圧倒的な熱量で破壊し、絵画黄金時代と呼ばれるバロック期への架け橋となったのはカラバッジョだと思う。それなのにそれほどの評価を得られていない理由のひとつは、彼が異端の画家であったからだ。
画家に人生はなく、その作品こそが評価されるべきだと言ったところで、作品に込められた熱量と同様に、社会の規範に納まるにはカラバッジョの豪胆さは規格外だった。
例えばカラバッジョ25歳のデビュー作『果物籠』(1595年~1596年頃/アンブロジアーナ絵画館)を観れば一目瞭然なのだけれど、写実的であるというだけでは足りないくらいの表現力だ。
しかし、この絵の持つ意味はそれに止まらず、当時の美術界で絵画のテーマとしては最下位だった“静物画”であること、そして何よりも理想化された表現こそが良しとされていたルネサンスの名残がある時代にも関わらず圧倒的な写実力で観るものを唸らせてしまった。
時々、ルネサンス後期という意味でマニエリスムの画家としてカラバッジョを分類する事例を見るけれど、僭越ながら全くの間違いだと言ってもこちらは過言ではないだろう。まさに世の中がルネサンスの“理想化”という呪縛から逃れられずにいる時代に、それを全否定してみせた。
(つづく)