コラム, 美術の皮膚

【コラム】美術の皮膚(145)カラバッジョ~カラバッジョの懺悔~

今までの連載はコチラから

ミラノ、ローマでの悪行のせいで、身の危険を感じて隠れた猛者たちの中でも、カラバッジョの喧嘩っ早さは相変わらずだから、あろうことか騎士仲間に重傷を負わせて投獄される。ここまで喧嘩に負けていないのだから腕っぷしも相当なものだろうけれど、あの緻密な作品を描いた腕前と同じだとは思えないし、褒められたことでもない。才能は大事に使って欲しいと伝えたいけれど400年も前の話しだ。

La decapitación de San Juan Bautista por Caravaggio
「洗礼者ヨハネの斬首」/image via wikipedia

マルタ騎士団から“恥ずべき卑劣な男”として追放されることになるのだけれど、その裁きを受けた時に礼拝堂に飾られていたのが、騎士団のために描いた前述『洗礼者ヨハネの斬首』(1608年/聖ヨハネ准司教座聖堂)なのはどうにも皮肉が過ぎる。

The Fortune Teller1
「占い師」/image via wikipedia

投獄されたまま騎士団を追放されたカラバッジョは、いつも通りに逃げるのだけれど今回はなにしろ脱獄で、向かった先は、ローマ時代の弟分で『占い師』(1594年/カピトリーノ美術館)や『果物籠を持つ少年』(1594年頃/ボルゲーゼ美術館)でモデルも務めたマリオ・ミンニーティのいるシチリアだ。ミンティーニも画家ではあったけれど、カラバッジョと比較されるのは可哀そうだとはいえ後世の評価はお世辞にも高くはない。

Caravaggio Fanciullo con canestro di frutta
「果物籠を持つ少年」/image via wikipedia

実は、ミンティーニもローマ時代のカラバッジョの起こした殺人事件に巻き込まれてシチリアに逃亡していたのだから、恐らく弟子というよりは遊び仲間のまさに“弟分”だったに違いない。

本来ならば招かれざる客のはずでも、兄貴分であれば家庭も顧みずに付き従ってシチリア内を転々とするばかりか、既に地元で得たコネクションを使って、教会にカラバッジョを売り込んだりもしたから、行く先々でも逃亡犯カラバッジョには創作の依頼がひっきりなしに集まった。

Caravaggio Adorazione dei pastori
「羊飼いの礼拝」/image via wikipedia

気を良くしたカラバッジョは、シチリア時代にも『羊飼いの礼拝』(1609年頃/メッシーナ州立美術館)をはじめとした新境地を開拓していて、陰影を巧みに使った立体感はもはや3D画像のように観る者に迫ってくる。この時代の作品については、構図や陰影の表現が「人間の持つ絶望や不安と同時に、心の根底に受け継がれてきた優しさや謙虚さを表現している」とまで云われているから、この頃のカラバッジョは今までの悪行を後悔していたのかもしれない。バグリオーネに言わせれば「盗人猛々しい」のだろうけれど。

豪放な生き方が喧伝される一方で、カラバッジョにはきちんと恩に報いる律儀さもあれば、襲撃されるのを恐れて寝る時にも武装していたと云われているほど小心でもあった。それでも喧嘩に明け暮れた大きな理由のひとつは“酒癖”だったのではないかと思う。もちろん人気画家ゆえの尊大さもあったとは思うけれど、彼の喧嘩の場面は酒場や舞踏会といったお酒の席が多かったりする。

病気療養中の自分をモデルに制作したのが『病めるバッカス』(1593年頃/ボルゲーゼ美術館)なのだから、お酒が好きだったのは間違いない。バッカスはお酒の神様だ。だからといって彼の犯した罪が軽くなるわけでもないのだけれど。

シチリアで成功したものの、追っ手の影を感じたカラバッジョは、1年も経たないうちに懇意のコロンナ家の庇護に預かろうとナポリに戻る。しかし、彼にとって地球上で最も安全なはずのナポリでも、何者かの襲撃を受け大怪我を負ってしまう。犯人は判らなかったものの容疑者ならば星の数ほどいるのは自業自得だ。

CaravaggioSalomeMadrid
「洗礼者ヨハネの首を持つサロメ」/ image via wikipedia

カラバッジョが本当に反省したのか、逃げるのに疲れてただ観念しただけのかは想像するしかないのだけれど、犯した罪の許しを請おうと、自らを生首に例えて『洗礼者ヨハネの首を持つサロメ』(1609年頃/マドリード王宮)をマルタ騎士団長へ、『ゴリアテの首を持つダビデ』(1610年頃/ボルゲーゼ美術館)を罪人の恩赦権を持つ枢機卿へと贈っている。

Caravaggio David con la testa di Golia
「ゴリアテの首を持つダビデ」/image via wikipedia

自らの才能を使った狡猾さと取るか、絵を描くことでしか償えない武骨さと取るかは難しいところだけれど、思いは美術好きの枢機卿に届き、めでたく恩赦を受けられることになる。

つづく

高柳茂樹
一般社団法人日本美術アカデミー
プランニングディレクター
    スポンサードリンク

これまでの「美術の皮膚」