コラム, 美術の皮膚

【コラム】美術の皮膚(148)カラバッジョ~世界で初めてのカラバッジョ~

今までの連載はコチラから

ルイス・フィンソン(1580~1617)という画家は、カラバッジョの複製画を多く遺しているので、度々カラバッジョの真贋を解読する時にその名前が登場する。

フィンソンの複製画が遺っているのだから、これはその原画だと云うのだけれど、フィンソンが描いたからといってその全てがカラバッジョの模写かどうか疑問に思っても、僕の耳には“そういうこと”になってから届くので、美術界のカラバッジョ発見に対する行き過ぎた興奮なのか?そんなことは自明の理なのか?僕ごときでは判断はつかない。

ただ、作者不明の絵画の価値を高めるために、多くの画家が真似たカラバッジョの名前を利用する傾向があるが「ほとんどの場合は不確かだ」と『トカゲに噛まれた少年』を所有するロベルト・ロンギ美術史財団(フィレンツェ)のミーナ・グレゴーリ理事長も語っている。

Caravaggio Boy Bitten by a Lizard
「トカゲに噛まれた少年」 image via wikipedia

2014年にカラバッジョ研究の第一人者でもあるミーナ・グレゴーリ理事長が、失われたカラバッジョ『マグダラのマリアの法悦』の真作が発見されたと発表した時にも、ルイス・フィンソンの名前は登場している。

遺された古文書によると、ローマに向かう途中の船内で亡くなったカラバッジョは、3枚の絵を持参していたと云われている。そのうちの1点『洗礼者ヨハネ』は現在ローマのボルゲーゼ美術館に所蔵されているけれど、残り2点は行方不明で、その中に『法悦のマグダラのマリア』(1606年/個人蔵)は含まれていたと云う。

Caravaggio Baptist Galleria Borghese Rome
「洗礼者ヨハネ」 image via wikipedia

例に漏れず『法悦のマグダラのマリア』も少なくとも8枚の“らしき”絵が存在すると云われていて、そのうちのひとつはイタリア文化財省公認の展覧会にも何度か出展されているローマ在住の個人蔵の作品で、これが真作ではないかと思われていたけれど、ミーナ・グレゴーリ理事長の発見によって憂き目を見てしまったのだから残酷な話だ。

『法悦のマグダラのマリア』がカラバッジョ最期の航海の船上から、何処をどう旅してフィレンツェにいるミーナ・グレゴーリ理事長の眼前に現れたのかといえば、前述の古文書によると3点の遺作はナポリでカラバッジョを庇護していたコスタンツァ・コロンナ侯爵夫人に送り返されたらしい。

そして、2014年に発見されたキャンバスの裏には「ナポリに返送する」と書かれた紙が貼られていたのだから、真作の重要な根拠になる。更に、無事にこの絵が、ナポリに送り返されたことを証明するのが、当時ナポリにいたルイス・フィンソンがが描いた、署名と日付が明記された『法悦のマグダラのマリアの複製画』(1612年/マルセイユ美術館所蔵)だ。

同様にキャンバスの裏にあった教皇庁税関の押印が、その後に作品がローマに送られたことを証明しているから、『法悦のマグダラのマリア』はナポリ、ローマと北上してフィレンツェに近づいてきたのだろう。

今後もカラバッジョの作品が「個人のコレクションの中からのみ見つかる可能性はありますが、市場に出回っている作品の中から見つかる可能性はありません」とまで言い切る第一人者の鑑定で、真作であることは間違いないのだろうけれど、所有者の家族たちが「現時点では名前を明かすことも、この作品を売ることも望んでいません」とミーナ・グレゴーリ理事長は付け加えたけれど、その2年後の2016年に国立西洋美術館で開催された「日本イタリア国交樹立150周年記念カラヴァッジョ展」で世界で初めて公開されるとは思ってもいなかっただろう。大戦では足を引っ張ってくれたけれど、明治時代から国交を結んでおいてくれて良かった。

つづく

高柳茂樹
一般社団法人日本美術アカデミー
プランニングディレクター
    スポンサードリンク

これまでの「美術の皮膚」