現代美術の殿堂の一つでもある(仏)ポンピドゥー国立美術文化センターのディレクターによると、現代アートの起点は、ピカソが「アヴィニヨンの娘たち」を発表した1907年よりも前の1863年であるらしい。それは、印象派に属さずして印象派の父と呼ばれるエドゥアール・マネが「草上の昼食」を発表した年だ。
マネは、新しい絵画を志向する印象派の画家たちを経済的にも擁護しつつ、自身は国立の芸術アカデミーを中から変えてみせると印象派展ではなく、アカデミーが主催する官展に作品を応募して、果敢に挑戦し続けた。
今では彼の代表作にもなっている「草上の昼食」は、まだ宗教画、神話画が王道で、女性の裸体を描くのはそれらにまつわることが大前提だった当時に、官展に出品したものの「現実の女性の裸体を描いた不道徳な作品」として落選している。
要するに、主題に縛られずに描きたいものを自由に描いた結果の不評だった。
これを主題の終焉を表現した最初の作品と考えるならば、確かに少し現代アートの始まりは、思っていたよりも早いのかもしれないけれど、そのことでピカソの功績は少しも揺るがないとも思う。偉大なるマネは、確かに時代に挑戦し続けた。しかし、ピカソは見事に時代に寄り添ったからだ。
20世紀はまた、数多くの絵画表現の手法が乱立した。フォービズム、キュビズム、ダダイズム、表現主義、シュルレアリスム・・・時に、それぞれの要素よりも、乱立したその現象自体を捉えて20世紀美術と呼ぶくらい、自由闊達な芸術活動が行われた。
絵画の新しいフォルムを発明したピカソは、彫刻作品においても、それまでの石膏に替わり、段ボールや鉄といった時代の素材を使って作品を発表し、同時期にはマルセル・デュシャンが、既成の商品にほとんど手を加えずにタイトルをつけて「レディメイド」シリーズという一連の作品を発表した。
特に男性用の小便器に「R.Mutt」とだけサインを施した「泉」(1917)は、大いに世の中を騒がせた。男性用の便器にフランス語で女性名詞である「泉」と名付けた、このいたずらっぽい作品は、人間の理性を否定するダダイズムの代表作でもある。
(つづく)