(仏)ギュスタヴ・モロー(1826~1898)は、19世紀後半の現実主義であったフランス美術界において、神話や聖書を題材にした幻想的な内面世界を描くことで、人間の持つ普遍的な真理に迫ろうとしたけれど、決して“印象派”のように、保守的な美術アカデミーと対立するばかりではなかった。
“ロマン主義”の様式を採り入れつつ、ルネサンスの古典にも基づいて、両者の融合に成功したと云われている。実際に、1888年には美術アカデミーの会員に加わり、国立美術学院“エコール・デ・ボザール”の教授にもなった。
指導者としてのモローは、創造や幻想の世界を描くことを勧め、自らは「若き才能が渡っていく橋である」と言い、もっぱら個性を尊重し伸ばす方針を貫いたため、一部の伝統を重要視するアカデミーの会員たちからは疎ましがられたけれど、彼の元からは、20世紀最大の宗教画家と呼ばれる(仏)ジョルジュ・ルオー(1871~1958)やフォービズムの巨匠(仏)アンリ・マチス(1869~1954)が育った。
初めにモローは、古典美術を学んでいたけれども、徐々に聖書や神話に独自の解釈を加えた作品で人気を博し、また後世の(諾)エドヴァルド・ムンク(1863~1944)の“表現主義”や、(墺)グスタフ・クリムト(1862~1918)ら“耽美主義”の画家に大きな影響を与えた。彼の作品に見られる死生観は、幼い頃に妹を亡くしたことや、師と仰ぎ親友でもあったロマン主義の画家(仏)テオドール・シャセリオー(1819~1856)の死が深く影を落としていると思われる。
モローに影響を与えたシャセリオーという画家は、幼い頃から(仏)ジャン=オーギュスト=ドミニク・アングル(1780~1867)にデッサンの才能を見出される一方で、アングルの“線”に対して“色”のドラクロワと謳われる(仏)ウジェーヌ・ドラクロワ(1798~1863)の影響も大きく受けていて、同じ時代に君臨していた双璧の融合を試みた。さらにモローはそこに、“ロマン派”の感情的な反逆ではなく、むしろ神秘的な要素を含ませて“象徴主義”を完成させていくから、19世紀末のカトリック復古運動さえ加速させていく。
モローの好んで描いた、男性を翻弄し破滅へと導く危うい存在としての“ファム・ファタール(運命の女性)”は、それまで美しさの象徴として側面的に扱われてきた女性像に、妖艶さや残虐性といった負の側面を加えることで、物事に内包される“善悪”や“正負”の“二面性”を積極的に表現しているのだと思われる。特に『出現』(1876年/キュスタヴ・モロー美術館)などの、新約聖書に登場する「サロメ」を扱った一連の作品は彼の代表作になっている。
混沌とした“世紀末芸術”を“象徴主義”が代表する理由のひとつは、モローの描いた「サロメ」のイメージだ。“目に見えるもの”に対して“目に見えないもの”を表現しようとしたモローは、作品の中に“善悪”や“正負”の二面性を描き込んだけれど、その題材として“女性”の持つ“貞節”“お淑やかさ”といった古典的な美化されたイメージと、“誘惑”や“残忍さ”を対比させることが、解りやすかったのだと思う。
一方で、“世紀末芸術”の全体に漂う“背徳的”で“退廃的”な表現も、モローによって固定化された「サロメ」に因るところが大きいことは、ルネサンス期の(伊)ティツィアーノ(1490頃~1576)の『サロメ』(1515年/ドリア・パンフィーリ美術館)や、(独)ルーカス・クラーナハ父(1472~1553)『洗礼者ヨハネの首を持つサロメ』(1535頃/ブダぺスト国立西洋美術館)、(伊)カラバッジオ(1573~1610)『洗礼者ヨハネの首を持つサロメ』(1609年/マドリード王宮)といった、それ以前の「サロメ」を扱った絵画と比べてみると明らかだ。
今でも“デカダンス”と云われる、過剰なまでに個別の感受性と向き合い、唯美的で(特にキリスト教的な価値観に)背徳的な世紀末の傾向は、一方で芸術原理主義でもあるから、普遍的な美意識というよりは、この時代の不穏な空気を反映した限定的なものではあるけれど、それを戒める規律や道徳の反面には、水が引くきに流れるように、そこに魅かれてしまう人間の持つ弱さは、いつの時代にも潜んでいるのだと思う。
僕のたった辻褄だけれど、水の流れを時系列的にお浚いしてみると、第1巻が1843年に発行された(英)ジョン・ラスキン「近代画家論」が、1848年に“ラファエル前派兄弟団”を結成させて、彼らの“刹那的”な生き様は1856年ボードレールの“背徳的”な「悪の華」という詩集によって再生され、モローの描く“サロメ”で可視化された。
「百聞は一見に如かず」は大げさだけど、人間の五感の中で視覚は聴覚の8倍くらいの情報量を持つらしいから“世紀末”の表情は、きっとそういうことなんだろうと思う。
モローの「サロメ」のイメージは(英)オスカー・ワイルドによって戯曲化されて、一世を風靡する。ご存知の方も多いとは思うけれど、サロメは新約聖書に登場する王女のことだ。
自分の父親を殺して王の座に就くだけではなく母である王妃まで奪った叔父のユダヤ王エロドや、それを受け入れた王妃を激しく罵り不吉な予言を語る洗礼者ヨハネに恋をした彼女は、その恋を拒まれると「絶対にあなたに口づけをしてみせる」と捨て台詞を吐き、憎きエロド王を色香で惑わせて、ヨハネの首を要求する。
そして願いが叶うと“銀の皿”に載って運ばれてきたヨハネの生首に愛を語り“口づけ”をする。しかし、それを見たエロド王は恐れ戦きサロメを殺すという、背徳のオンパレードの物語だ。
ワイルド自身も男色の罪で収監されて、失意の中で没するから、彼はまさに19世紀末を代表する作家と言える。
(つづく)