コラム, 美術の皮膚

【コラム】美術の皮膚(153)カラバッジョ~400年前の灼熱~

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突然に中止されたオークションが、絶体絶命からの保身なのか?一発逆転の大成功なのか?最初から仕組まれた茶番劇なのか?その真意は、南仏トゥールーズの屋根裏で見つかったカラバッジョ作品の真贋くらい有耶無耶だけれども、一方のメトロポリタン美術館は、(仏)ルーブル美術館、(露)エルミタージュ美術館、(西)プラド美術館と並んで世界最大級の美術館と称され、その中でもこれだけの規模を誇る私設の美術館が他に類を見ないというのは本当だ。ただその分、王室のコレクションを基盤とした美術館に比べると1870年と開館が新しく、意欲的な作品購入や寄付で、雑食的にコレクションを増やしてきたから、今回の購入者としては相応しいのかもしれない。

とりあえず購入しておいてからじっくりと真贋を鑑定するだけではなく、万が一真作でなかったとしても、市場価値を最大化するプロモーション戦略も同時に練って、公開のタイミングを虎視眈々と狙っているに違いない。お叱り覚悟で言えば、他の名門美術館に比べれば失墜する権威も高くはない。

いずれにしても、権威のある“クリスティーズ”や“サザビーズ”でオークションを開いていたならば、あり得ない出来事だから、その全てが最初から仕組まれていた一大プロモーションだと決めつけるのは、少しへそ曲がりが過ぎるかもしれないけれど。

数々の謎を遺したまま終わっているとはいえ「疑惑のカラバッジョ」は、昨今の美術界を取り巻く状況をミステリー仕立てのドキュメンタリーで紹介してくれているので、ここまでネタバレをしてしまっておいて何だけれども是非ご覧いただくと面白いと思う。特に、資本のルールで美術の価値を見極めようとする英米と、そこに苦言を呈する伊仏の対比は、特に強調されていた訳ではないけれど興味深い。

絵画は画家の人格とは切り離して、作品こそが評価されるべきだと基本的には思っているけれど、ゴッホの話しを例えに出すまでもなく、画家には自分の人生と、後世の人々が望むもうひとつの人生があるのもまた現実であるから、謎多きカラバッジョの人生に関しては、圧倒的に後者の方が鮮明に浮かび上がってくる。とはいえ、人々が望むもうひとつの人生がまったく間違っているのかといえば、画家の生前の行いを元に(多少の希望的推測はあったとしても)専門家たちが編んでいるのだからそんなこともない。

2016年に、レオナルド・ダ・ヴィンチ作と思われる『糸巻の聖母』(1500年頃/個人蔵)が見つかった時にも、『法悦のマグダラのマリア』と同じく真作と云われている作品はスコットランド国立美術館に飾られているから、やはり同じように美術界が色めきだったことがある。

Madonna of the Yarnwinder
「糸巻の聖母」/image via wikipedia

今では通称『ランズダウンの聖母』とも呼ばれている『糸車の聖母』は、それまではマニュエリスムの画家の模写だと考えられていて、オークションでも(レオナルド・ダ・ヴィンチ作としては)それほど高額では取引されていなかったようだけれど、こちらの方は一見してスコットランドの作品よりもレオナルド・ダ・ヴィンチ作に相応しいと素人の僕が見ても解るような出来栄えにも関わらず、3年以上の月日をかけた科学的な分析や文献を元にした検証がされて、今では両者共にレオナルド・ダ・ヴィンチの真作だということになっている。18世紀からそう信じられていたスコットランド国立美術館の『糸車の聖母』(1500年頃)が実は模写だったとは口が裂けても言えないだろうけれど...

レオナルド・ダ・ヴィンチの作品の真贋については、以前もご案内したように、丁寧なスフマート技法によってキャンバスに指紋や掌紋が遺っていることも重要なポイントではあるけれど、(遅筆の原因でもある)何度もデッサンや薄塗りを重ねたことによって、X線で解明された上描きされた下絵が真贋の決め手になることが多い。500年の時を超えて、緻密なレオナルド・ダ・ヴィンチの仕事が雄弁に語っているようにも思える。

一方で、作品が後世に大きな影響を遺すカラバッジョだけれど、“乱暴者”であっただけではなく、ルネサンス以降デッサンを重視した美術界から妬みも含めて疎ましがられた理由には、緻密なデッサンなしに直接キャンバスに一気呵成に描き上げる画法にもあったので、いくら現代の科学的な分析を繰り返しても、決定的な画家の仕事の痕跡が浮かび上がりにくかったりもするから、まずます謎に包まれたままになる。

ただ間違いなく、悪行を尽くしては逃げ回り、その度に類稀なる画力で教会や貴族たちの庇護を受けて凌いできたカラバッジョの人生は、死後400年を経ても尚、その熱量は未だに多くの人を巻き込んで存在しているようだ。全てを焼き尽くす太陽も、1億5000万kmの彼方で燃え盛っていてもらうくらいがちょうど良いなと、凡人の僕は思う訳だけれども。

(了)

高柳茂樹
一般社団法人日本美術アカデミー
プランニングディレクター
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