コラム, 美術の皮膚

【コラム】美術の皮膚(45)「盗難絵画③~強奪される名画たち~」

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金額に換算すると、途轍もないことになる名画たちは、富裕層の所有欲や投機的な目的がまったくないとは言わないけれど、そこには文化的な価値が含まれていて、所有者は人類の遺産を次世代に繋いでいく役割を担っている。ただ、時々その価値を理解せずに経済的な価値を交渉の道具にしようとするだけの悪漢が現れるから、絵画の盗難が後を絶たないのは哀しいことだ。

・白昼に強奪されたノルウェーの「宝」
2004年8月22日
『叫び』『マドンナ』エドヴァルド・ムンク
盗難場所:ムンク美術館
発見場所:ノルウェー・オスロ
時価総額:合計6億クローネ(約110億円)
懸賞金:200万ノルウェークローネ(約4000万円)
犯人:6名
*(事件としては)解決

2012年5月2日にN.Y.オークションハウスのサザビーズで、ノルウェーの国民的な画家であるムンクの『叫び』(パステル画/1895年)が当時の史上最高額(約1億2000万ドル)で落札された。実は、ムンクの「叫び」は、違った画法で描かれた5作品が存在していて、うち2作品はそれぞれ盗難の憂き目に遭っている。その一つが、5作品中最高傑作とされるオスロ国立美術館の『叫び』(油絵/1893年)だ。

Munkunosakebi

世界中の耳目がノルウェーに集まった1994年リレハンメル五輪開会式の当日、梯子をよじ登って侵入した2人組によって盗み出され、事件現場にはご丁寧に「手薄な警備に感謝する」とのメッセージが残っていたのだから、ノルウェー警察は国の威信にかけてなりふり構わずロンドン警視庁美術特捜班に捜査の協力をお願いする。そして登場した先述チャーリー・ヒル捜査官の囮捜査によって、無事に『叫び』(油絵/1893年)は取り戻された。

しかし、それから10年後にまたしてもムンクは盗まれる。今度は少々派手な方法で、ムンク美術館から『叫び』(テンペラ画)と『マドンナ』が、お客や警備員の目の前で武装集団によって強奪された。

オスロ市はノルウェーの「宝」に、およそ4,000万円の懸賞金を掛け、2年後に犯人たちは逮捕され、数か月後には作品も見つかったけれど、決して「無事」ではなかった。特に『叫び』の損傷は激しくて、現在でも完全に修復するのは不可能と云われている。

・美術館を閉館に追い込んだ欧州絵画盗難史上最大の強奪事件
2008年2月10日
『ヴェトゥイユ近辺のひなげし』クロード・モネ
『花咲くマロニエの丘』ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ
『赤いチョッキの少年』ポール・セザンヌ
『ルピック伯爵と娘たち』エドガー・ドガ
盗難場所:ビュールレ・コレクション
発見場所:チューリッヒ/ベオグラード
*解決

スイス・チューリッヒの美術館「ビュールレ・コレクション」でゴッホ、セザンヌ、ドガ、モネの大作計4点が盗まれた。ビュールレ・コレクションは、ドイツ生まれのスイス人実業家エミール・ゲオルク・ビュールレが収集した作品を遺族が美術館として開放したもので、個人所蔵の作品群として世界最大級の印象派コレクションと云われている。

ビュールレは武器の売買で富を得るのだけれど、取引先にはナチス・ドイツもいて、ナチスが芸術として認めなかった印象派のコレクションを、彼が集めたというのも皮肉な話だ。

そこから絵画を盗み出した犯人は、覆面をした3人のセルビア人の男たちで、閉館間際の館内に押し入り、武装した1人が職員を脅している間に、2人が美術館を代表する名画を手際よく運び去った。

地元警察は被害総額を1億8000万スイスフラン(約175億円)と試算し、ヨーロッパで起こった絵画盗難史上で最大の被害だと世界に衝撃が走る。しかし一方で、盗まれたのがあまりにも有名な絵であるから、売却は不可能だとも云われていた。

しかも、コレクションの中でも最も価値があると云われていた『パレットを持った自画像』(セザンヌ)が盗まれていないのだから、やはり犯人たちはそれほど美術品の目利きだったというわけでもない。

案の定、盗まれてから9日後に『ヴェトゥイユ近辺のひなげし』(モネ)と『花咲くマロニエの枝』(ゴッホ)が、チューリヒ市内の病院に乗り捨てられていた車の後部座席で発見される。

4年後の2012年4月には、セルビアの首都ベオグラードで犯人4人が逮捕され、大量の武器弾薬と共に『赤いチョッキの少年』(セザンヌ)も発見された。犯人は、取引の相手から前金を受けっていて、受け渡しの準備をしている最中だったというから、まさに間一髪での奪還だった。

ビュールレ財団の館長が「ピカソと共にキュビズムの創始者の一人である(仏)ジョルジュ・ブラックを除けばもっとも前衛的な作品」と呼ぶ、残る一点の『ルピック伯爵と娘たち』(ドガ)も、同年にセルビアで発見されて、無事に戻ってくることになる。ただ、セルビア政府によると既にドガの作品は、2009年に発見されていたというけれど、では3年もの間に何処にあったのか・・・

そして、この大事件の余波はまだ続く。元々私邸を改装した美術館では警備に万全を期せないという理由で、2015年には閉館が決定する。

とはいえ、2020年からは財団がチューリッヒ美術館に長期貸与をするらしいので、作品自体にはスイスに行けばまだ会える。それどころか、5年の間隙を縫って、盗難に遭った4作品すべてを含む大規模な「ビュールレ・コレクション展」が国立新美術館であったらしい。チケットをもらっていながら、忙しがっている僕はうっかり行きそびれてしまったけれど。

つづく

高柳茂樹
一般社団法人日本美術アカデミー
プランニングディレクター
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