コラム, 美術の皮膚

【コラム】美術の皮膚(90)「世紀末芸術~甘く危険な香り~」

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“世紀末”と聞くと、何か特別に“甘く危険な”香りを感じてしまうのは僕だけではないと思うのだけれど、月の満ち欠けや太陽の動きにも関係ない、人間が創ったただの数字の区切りに、この耽美的な響きが宿ったのは意外に最近のことだったりする。

日本で“世紀末”が“この世の終わり”と混同されるのは20世紀末だ。常に強大な自然と向き合ってきたために培われてきた日本人独特の“不安因子”に加えて、1999年に人類が滅亡するという「ノストラダムスの大予言」(五島勉/1973)のヒットも大きな原因じゃないかと思う。

本家のノストラダムスは16世紀ルネサンス期フランスの医師であり詩人で、「大予言」は詩集であって、後世の評論家たちが世紀末思想の預言書と扱い始めたのも戦後になってからだと云われているから、ほんの20世紀半ばになってからだ。

“世紀末”に家電メーカーで営業企画をしていた僕にとっては、万能だったはずのコンピュータに内蔵されているタイマーが2000年に対応できていないという、いわゆる“2000年問題”も、なにか終末を予感させるには十分な混乱だったりもした。

ちなみに、学生時代に所属していたサークルが主催した音楽コンテストで、デーモン小暮さんが率いるヘビィメタル・バンド“聖飢魔Ⅱ”に初めて会ったのも1984年のことだから20世紀末だったけれど。

ただ、ヨーロッパで“世紀末”が云われていたのは、それよりも100年前の19世紀のことで、俗に云われているのは、パリでヒットした“ファン・ド・シエクル(世紀末)”という演劇が発端らしい。特にフランスでは、市民革命の後の自由な時代から、世界大戦の影が忍び寄るまでの短い間を指す“ベル・エポック(良き時代)”の終末を例えて殊更に云われていたのだと思う。

お叱り覚悟で言うならば、なまじ自由を手に入れてしまった人間が、自由であるが故の自家中毒を起こしていたように思える。もちろん、自由であることの幸福は重要ではあるけれど、自由に支配されてしまう人間の脆さもまた確実に存在する。中世からルネサンス、近世、近代そして現代に至るまで、束縛と自由の間を行ったり来たりしている歴史が、そのことを証明しているとさえ思う。

斯くいう僕も、適度な支配の合間に、ほどほどの自由を享受しているのが心地良い。古くは勤労の合間の“お祭り”だったり、高度に情報化された繁忙な現代ならば週末の休暇に加えた“ゴールデン・ウィーク”みたいなことだろう。史上最長の10連休が必要な日本は、忙しなさも史上最高に達しているのかもしれない。

実際に、19世紀末のヨーロッパも、ヴィクトリア朝の大英帝国を初めとして、遅れ馳せながら植民地の拡大に成功したフランス、鉄血宰相ビスマルクの下で統一されたドイツ帝国、独立を勝ち取ったイタリア王国など、それぞれが自国史上の頂点に輝いていた時代でもあった。膨張した繁栄が、その後の世界大戦を引き起こすのだから、既に紀元前には“足るを知る”と説いた老子に代わる賢人がいたならばと思ったところで、要らぬお世話だけれど。

19世紀末に興った“世紀末芸術”という物言いにも、やはり耽美的で退廃的(デカダンス)な響きが同居する。ただ、それは後世の僕らのたったイメージで、何か決定的に統一された思想や派閥が存在したわけではなくて、むしろ様々な思想や風潮が交錯、対立していて、ひとつにまとめることのできない混沌とした時代であるのだと思う。

美術においての19世紀末には、様々な風潮、画派が混沌としていた。その中には、微差はあるにしても明るく爽やかに時代を謳歌する“印象派”の画家もいたけれど、“世紀末芸術”に彼ら、彼女らを含めることはない。

船遊びの人々の昼食
ルノワール『船遊びの人々の昼食

むしろ、産業革命の流れで、機関車や飛行機、電話や電球、カメラや蓄音機の発明といった、石油と電気による技術革新が、目覚ましい人類の発展を生むと同時に人々の生活を劇的な変化に晒して、これに恐れを抱いた科学万能主義への反感や、目先の豊かさに踊るブルジョア的な振る舞いへの反感も同時に沸き上がったから、美術の価値は道徳や便利さや理屈ではなくフォルムと色の美しさに尽きるといった“耽美主義”や、目に見えない不安や焦燥を文学や神話に例えて描く“象徴主義”といった、幻想的、神秘的、退廃的な作品に代表される。

Sakebi
ムンク『叫び』/ image via wikipedia

さらに、繁栄と発展によって“科学”を根拠とした“自信”を手にしたヨーロッパの先進国の人々は、一方で積極的にアフリカや中央アジアといった、未知なる原始性への冒険も始める。人為的に自然を制圧しつつも、際限のない未知なるものへの好奇心は、解釈といういくつもの仮説を生んだから、帝国主義の完成の側道として、新しい芸術を模索する動機に拍車をかけた。

つづく

高柳茂樹
一般社団法人日本美術アカデミー
プランニングディレクター
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