コラム, 美術の皮膚

【コラム】美術の皮膚(7)「主題の終焉の終焉」

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ダダイズムの背景には、1914年に、イギリス、フランス、ロシアに、アメリカ、イタリア、日本を加えた連合国と、ドイツ、オスマン帝国(現トルコ)、オーストリア、ブルガリアの同盟国が戦った第一次世界大戦がある。

世界中の人々が殺し合う悲劇は、ルネサンスから続いた人間賛歌の夢から人々を醒めさせ、特に、社会のしがらみから解放されていた芸術家たちは、人々が殺し合う悲劇に過敏に反応して、大きな虚無感と共に、既成の秩序や常識、果ては人間の理性に対しても否定的な態度を採ることになる。

ダダイズムは、第一次世界大戦後も、戦勝で好況に沸いていたアメリカでバブルがはじけたことに端を発する世界規模の大恐慌の中で、サルバドール・ダリやルネ・マグリットのように、無意識の世界を表現しようと試みるシュルレアリスムや、不条理な世界をあたかも現実のように写実的に描く抽象主義へと形を変えて、それまでの既成の枠を先鋭的に破壊していった。

そして、愚かな人間の所業は一度で終わらずに、1939年には第二次世界大戦が勃発する。6年もの間、世界中を火の海に巻き込んだ大戦争が終わった時、ヨーロッパでは戦争を憂いていたシュルレアリストをはじめとした芸術家たちは左翼思想だと危険視され、その多くが自由の国アメリカに脱出したから、政治経済と共に芸術の中心地もニューヨークへ移ることになる。

中でも、ジャクソン・ポロックの登場は、無作為であることを徹底的に表現した上で、作品はただの画家の創作行為の痕跡でしかなくて、創作行為そのものに価値があるのだとするアメリカ発の抽象表現主義を世界に発信した。

また、キャンベルのスープ缶や、マリリン・モンローの肖像で有名なアンディ・ウォーホールの作品は、写真を巨大なプリンターで拡大して量産して、再び好景気に沸くアメリカの消費社会を体現して、モダン・アートをけん引した。

アートは、政治や宗教に利用されたり、官制アカデミーの規定する様式に縛られたりするのではなくて、常に革新的であり続け、アートはアート自体のためにあるべきだとする、アーティストたちの戦いは70年近く続いたけれど、1973年に一つの転機を迎える。

中東地域で起こった戦争が引き金になった第一次オイルショックに、世界経済が混乱したのだ。余裕のない社会の中で、常に革新できるという価値観は崩壊してしまい、人々の心は古き善き時代への憧憬に向かい、抽象的な表現は支持を得られなくなっていく。これをもってアートのためのアート、モダン・アートが終わったと云われている。

Roushi
老子/image via Wikipedia

余談だけれど、西洋美術においては、20世紀の世界大戦を経て、人工的なものへの懐疑が高まって、無為自然への流れができるのだけれども、実は東洋では既に紀元前600年頃に老子が、紀元前300年頃には荘子が、人為を嫌って日常生活における利便性に批判的な道教の思想を唱えていたのだから、どちらが優れているという事ではなくて、美の中心に人工的なものを置く西洋文化と、自然の中に美を感じる東洋文化の差異はずいぶんと昔からあったのだと思う。

さて、オイルショックを経ても、世の中にアートがなくなるわけではないから、ポスト・モダン・アートが芽吹きだす。

ただ、ポスト・モダンといっても、特に芸術の分野では、モダン・アートを否定しているわけではないと思えるのは、誤解を恐れずに言えば、きっと信じられるものが何もなくなってしまった迷子の芸術のように僕には見えるから。何かを否定したところで行く先は決まらない。

つづく

高柳茂樹
一般社団法人日本美術アカデミー
プランニングディレクター
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