「美術の皮膚」といって軽い駄文を書かせてもらっているから、時々「何を覚えておけば、美術が解るようになりますかねー」と訊かれることが多い。僕もまだ良く解っていないから軽々にはお答えしかねるけれど、もったいぶっていると思われるのも困るから「俗に云われている世界三大名画かもしれないですねー」と曖昧に答えたりする。
『モナ・リザ』(伊)レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452~1519)
『ラス・メニーナス(官女たち)』(西)ディエゴ・ベラスケス(1599~1660)
『夜警』(蘭)レンブラント・ファン・レイン(1606~1669)
すると、「え?芸術の都フランスの絵はないんですか?」と訊き返される。フランス・パリが“芸術の都”と呼ばれるようになったのは、19世紀になってからだから結構最近だ。今や名画の殿堂「ルーブル美術館」も元々は要塞だったし、コレクションの中にはナポレオンがヨーロッパ中から戦利品として持ち帰った名画がたくさんあって(ナポレオン失脚後には元の持ち主に返されているけれど)「ナポレオン美術館」と呼ばれたこともあった。
もちろん、19世紀以降のフランスにも素晴らしい作品は多いけれど、パリは市民革命後にナポレオン3世の指示で計画的な都市開発が行われて、産業革命後に工業化で発展するイギリス、ドイツ、アメリカと一線を画するように(仏)アンリ・ド・トゥルーズ=ロートレック(1864~1901)や、(捷)アルフォンス・ミュシャ(1860~1939)のポスター芸術がパリの街を彩ったアール・ヌーヴォーの時代が訪れてから、今の芸術の都になった。
三大名画のうち、『モナ・リザ』は「ルネサンス期」の作品だけれど、『ラス・メニーナス(官女たち)』と『夜警』は、「絵画黄金時代」と呼ばれている「バロック期」に描かれている。そして、バロック期を代表するフランス人画家はいないと言って良い。
当時のフランスではバロック美術の特徴である劇的な表現よりも、依然として抑制的な古典主義の作品が好まれていたから、美術後進国のフランスが古典からようやく抜け出すのは、バロック期も後半になって、ルイ15世の愛妾ポンパドゥール夫人を中心としたフランス宮廷文化に花開いた「ロココ美術」を待たねばならない。
本当は17世紀フランスにも、劇的な表現をしていた画家はいた。“夜の画家”と呼ばれる(仏)ジョルジュ・ド・ラ・トゥール(1593~1652)だ。夜の闇を照らすろうそくの炎を光源として画面に明暗をつける静謐な作品が多いラトゥールは、ルイ13世の庇護を受けて画家として成功していたはずなのに、20世紀に入るまで歴史の闇に隠れていた。
当時のフランスにはなかった画風だったから、スペインの画家の作品だと思われていたこともあったらしい。死後のフランス美術界でまったく性質の違うロココ美術が普及したのが原因だとか、ラトゥールの功績で貴族の称号を得た子孫が画家の出自を恥じて記録を抹消したとか云われているが、真相は“夜の闇”の中だ。
いずれにしても、絵画黄金時代に自国の画家がいないことに釈然としないフランス人にとって、ラトゥールの発見は、嬉しかったに違いないと思う。三大名画とは関係ないけれど・・・
こうやって僕はいつも喋りすぎて「もう少し覚えやすいのはないですか?」と話を遮られるから「では、ルネサンスの三大巨匠ですかねー」と答え直す。
(伊)レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452~1519)
(伊)ミケランジェロ・ブオナローティ(1475~1564)
(伊)ラファエロ・サンティ(1483~1520)
でも、どうしてももう一人付け加えたいから、四天王と呼び方を変えて
(伊)サンドロ・ボッティチェリ(1444頃~1510)
を仲間に入れる。“三大巨匠”より“四天王”というと少し軽くなってしまうけれど、「美術の皮膚」だから気にしない。いや、むしろルネサンスの夜明けを告げたボッティチェリが、三大巨匠に数えられていないのは腑に落ちない。
ボッティチェリには、三大名画に入っても不思議ではないくらい誰でも知っている傑作さえある。でも、僕には“三大”を覆すだけの力がないから、せめてボッティチェリが見落とされてた理由を探る。
(つづく)