もう5年くらい昔の話になるけれど、美術アカデミーの“師匠”との酒席で、酔っ払った勢いで、ちょうど一緒に制作した美術番組で扱った(仏)ピエール=オーギュスト・ルノワール(1841~1919)について、今さら聞けないけれど、どうにも気になっていたことを聞いてみた。
「“ルノアール”なのか“ルノワール”なのか」ってくだらない質問の正解はもちろん“ルノワール”で、“ルノアール”は喫茶店だ。
だから照れ隠しに、先週末に行って来た美術展のチケットに刷られた『ジャンヌ・サマーリーの肖像』(1877年/プーシキン美術館 蔵)が「どうにも安っぽく見えるんですよ」と少し生意気なことも言ってみた。
「なに?本当にそう思うか?」って“師匠”が気色ばんだので、余計なことを言ってしまったと思ったけれど、今さら後には引けないから「嘘なんかつきませんよ」と強がったら、「“ジャンヌ・サマーリー”ならば『女優ジャンヌ・サマリー』(1878年/エルミタージュ美術館 蔵)の方がよほど出来が良いからなー。おまえもようやく絵が解ってきたな。」って褒められた。
褒められたから嬉しいけれど、そこまで“絵”は解っていないから、当たってしまった当てずっぽうの行方を心配していると、案の定“師匠”が「じゃあ、ルノワールなら何が好きなんだ?」っておっしゃった。
ルノワールといえば『イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢の肖像』(1880年/ビュールレ・コレクション 蔵)のような愛らしい少女像が有名だけれど、そんな答えはきっと期待されていない。
もう絶対に後には引き返せないから、ルノワールが生涯で描き続けた6,000点以上の作品の中で、お世辞にも愛くるしい少女たちとは比べものにはならない“ふくよか”な女性たちの裸婦像『浴女たち』(1918-1919/オルセー美術館 蔵)を、“一か八か”挙げてみた。頓珍漢な選択でも「やっぱり、まだまだ解ってないな」って笑われるだけだ。
すると“師匠”は「本当か?」と確認してから、『浴女たち』はルノワールの最晩年の作品だし、自ら最高傑作だと評した「生涯において探求した絵画表現の融合的作品」なんだと教えてくれた。ふくよかな裸婦が寛ぐ神々の楽園は、ルノワールが描きたかった“幸福”のイメージ、究極の美なんだと。
今度の“当てずっぽう”は大当たりしてしまったので「おまえもいよいよ絵が解ってきたな」と上機嫌な“師匠”は、「まだまだ解ってないです」と言う僕の言葉を遮って“幸福の画家”と呼ばれたルノワールの“苦悩”について話を続けた。
さっきまでくだらない話で盛り上がってた酒席が、突然アカデミックになってしまったことを、少しだけ後悔していたのは、ここだけの秘密だ。
(つづく)