日本人の美意識が、19世紀のパリだけではなく、現在に至っても世界から羨望されていると繰り返しているけれど、目の前にフェルメールの油彩画と葛飾北斎の浮世絵があって、どちらかをくれると言われれば、前者に手が伸びてしまう言行不一致が悩ましい。
僕はやっぱり西洋かぶれなのか?それとも作品の評価額に眼が眩むのか?大いなる影響を与えていてもやっぱり浮世絵は西洋画に劣るのか?考えても自分のことが自分では一番解らないから、いつものようにお酒の力を借りて屈託なく国際浮世絵学会の会長に訊いてみた。
そりゃ当たり前だよ。
むしろその感覚は正しいよ。
意外な返事が返ってきた。さすが会長は和文化原理主義ではない。西洋の歴史は戦争=破壊の歴史なので、それが古いモノでさえ,、それまでのモノを壊したエネルギーがあるとおっしゃる。そう言われれば、今のヨーロッパの地図は、20世紀に第二次世界大戦が終わってからようやく落ち着いてる。
絵画についても同じことが言えるというのだ。ロマネスク、ビサンチン、ゴシック、ルネサンス、マニエリスム、ゴシック、ロココ、新古典、ロマン、印象派からピカソまで、西洋芸術は破壊と創造の連続でもあった。
一方、日本はというと変化に乏しい。史上最後の内戦でさえ1877年の西南戦争くらいだから、破壊といっても国土を焼き尽くすほどの破壊はしない。戦争だって足るところを知ってるし、古きを知って新しきを知るから、いつもほどほどのところで手を打ってきた。誤解を恐れずに言えば平安時代の『鳥獣戯画』と『北斎漫画』の明確な区別だって難しい。
変わる必要がないくらい
完成度が高いとも言えるんだよ。
優しく諭すように会長が教えてくれたから、僕はすっかり腑に落ちた。「日本人の好きな画家」に雪舟や葛飾北斎が登場しなくても仕方がない。僕だってきっとヤン・ファン・エイクとかアイエツとかに投票する。
とはいえ、日本人の印象派好きは気になる。明るい色調や、宗教色の弱まった独自の市民文化であることは、大きな理由だと思うけれど、他にも何かあるんじゃないかと今日も美術の皮膚をなぞってみる。もちろん僕のたった仮説だけれど。
最初に思い浮かんだのが、日本人の判官贔屓との関係だ。ご存じだとは思うけれど判官って源義経のことで、異母兄の源頼朝によって自害に追い込まれた。
結構な勝手を働いたので武士の時代には相応の処遇だったとは思うのだけれど、「平家物語」や「源平盛衰記」に日本の英雄の原型として描かれたから、悲運のアイドルとして未だに歌舞伎の人気演目だったりする。海を渡ってチンギス・ハンになったという都市伝説さえある。
印象派も、保守的な美術界から落ちこぼれた若い画家たちが立ち上がって、自分たちの世界を切り拓いた。保守的な美術界と闘った画家たちは、それ以前にもたくさんいるけれど、一番手前の市民革命時代の話だから届きやすい。
そもそも“印象派”って呼び方は、保守的な美術評論家たちが広めた悪口だったけれど、それさえ自分たちの“看板”にした若者たちのエネルギーは魅力的だ。
(つづく)