コラム, 美術の皮膚

【コラム】美術の皮膚(146)カラバッジョ~酒と喧嘩と絵具と~

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しかし、恩赦を受けるためにローマに向かう途中、ついに悪運は尽きカラバッジョは病死する。近年になってイタリア・トスカーナ地方の教会でカラバッジョのものと思われる人骨が発見されている。

その骨からは高濃度の“鉛”が検出されていて、死因は鉛中毒だと云われている。当時の絵の具には多くの“鉛”が含まれていたらしいから、まさに画家の職業病で亡くなったのだろう。もちろん、全ての画家の死因が同じではないので、酒と喧嘩に明け暮れた不摂生が症状を悪化させたとも云われている。

CaravaggioUrsula
「聖ウルスラの殉教」/image via wikipedia

ナポリにあるパラッツォ・セヴァロス・スティリアーノ美術館に飾られているカラバッジョの遺作『聖ウルスラの殉教 (The Martyrdom of Saint Ursula)』(1610年/インテーザ・サンパオロ銀行所有)は、1万人以上の“処女なる侍女たち”を連れた殉教の旅の途中で、フン族の王の矢に倒れたドイツ・ケルン発祥の伝説の聖女ウルスラの最期の瞬間を、まさにカラバッジョの真骨頂でもあるダイナミックな筆致で描いている。

Michelangelo Caravaggio 047
「聖マタイの殉教」/image via wikipedia

聖女ウルスラも20世紀末に、イタリア人教皇によって歴史的実在性の疑わしさから聖人から外されてしまったけれど、21世紀になって(ドイツと同じ北方の)ポーランド人教皇によって、再び聖人として認められたから、俗世の事情で評価が変わるカラバッジョを重ねてしまうのは、もちろん僕の思い込みだけれど、妬みにも似た確執のあったジョヴァンニ・バグリオーネの書いた伝記に左右されたカラバッジョの悪評も、20世紀になると再評価された。

Caravaggio La vocazione di San Matteo
「聖マタイの召命」/image via wikipedia

カラバッジョの悪行は褒められたわけではないから、バグリオーネの言うことも解らないではないけれど、ローマの教会サン・ルイジ・デイ・フランチェージ教会コンタレッリ礼拝堂に飾られたカラバッジの作品『聖マタイの殉教』(1600年頃、『聖マタイの召命』(1600年頃)から多大な影響を受けて、後に“カラバジェスキ(カラバッジョ派)”と呼ばれた画家たち(皮肉にもカラバッジョを中傷したバグリオーネもここに数えられている)は、『リュートを弾く娘』(1612年/ワシントンナショナルギャラリー)のジェンティンレスキといった地元の画家たちだけではなく、(蘭)フェルメールの『取り持ち女』にインスパイアを与えた(蘭)デレク・ファン・バビューレン(1595年頃~1624)といった、オランダの画家たちにまで至るのだから、やはり画家の人格を使って、作品の価値を決めてしまうのは何か間違っていると思う。例えそれがゴッホの自死ように、作品を殊更高く評価する場合においてもだ。

Orazio Gentileschi
「リュートを弾く娘」/image via wikipedia

とはいえ画家として生きて、画家として死んだカラバッジョが、緊張感あふれる人生の中で描いた、まるで研ぎ澄まされたナイフのように観る者に緊張感さえ抱かせる作品たちは、画家の人生と作品をきれいに切り分けることも、それほど簡単ではないのかもしれないとは思わせるけれど、絵画の黄金時代と呼ばれているバロック期の原点が、カラバッジョにあることは、彼の人格とは全く別に燦然と美術史に遺る事実だと思う。

恥ずかしながら拙いコラムのタイトル「美術の皮膚」は、20世紀最大のフランスの知性と呼ばれた詩人ポール・ヴァレリーの「最も深きもの、それは皮膚なり」から拝借したのだけれど、ヴァレリーの側近だったアンドレ・ヴェルネ=ジョフロワはカラバッジョを「いうまでもなくカラヴァッジョの作品から近現代絵画は始まった」とまで賞賛している。

つづく

高柳茂樹
一般社団法人日本美術アカデミー
プランニングディレクター
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