19世紀末は、ベル・エポック(良き時代)が泡沫の夢のように、あっという間に未曽有の世界大戦へと転がり落ちる間の、華やかな耽美と厭世的な不安が同居した風潮であったことは間違いないと思うのだけれど、必ずしも“世紀末”を迎えた終末観が引き起こした空気というよりも、フランス市民革命を発端にして人々が自由を手に入れた19世紀を通じて、時代が内包していた言いようもない不安という冷たいマグマが、一気に噴き出したような気がしてならない。
19世紀美術史の流れを見ると、尚更にそう思える。
ポンパドール夫人を中心としたフランス宮廷が主導した優美な“ロココ美術”は、ナポレオンの登場によって市民社会への扉が開かれると、貴族趣味的な装飾性が否定されて荘厳な“新古典主義”へと移っていく。
しかし、行き過ぎた英雄崇拝のカウンターとして、市民社会の“今”を描いた“ロマン派”が現れた。
そして、時代を通じて醸し出されてきた“自由”に慣れない人々の中で、覚束ない足元への不安が、時代を謳歌する“印象派”や“アール・ヌーヴォー”のカウンターとして“象徴主義”の流れを生んだ。
科学の万能を信じて、自由を謳歌する現代においては“印象派”の人気が高くて、厭世的な“印象主義”はそれほど高い評価は得られていないようだけれど、間違いなく19世紀美術の二大潮流として“象徴主義”は重要な位置を占めている。それどころか、20世紀の現代美術への影響は、むしろ“印象派”よりも大きいかもしれない。
“象徴主義”を標榜する人々を主語にすると、“印象派”や“アール・ヌーヴォーは“卑俗”な芸術であるらしい。今風の物言いにすれば“商業主義”と換言できるのかもしれない。だから彼らは、思考を時代の風潮から切り離し内向させて、夢見がちな精神世界を表現することになった。
もちろん、両者を比べてその正否を問うつもりは全くないし、作品自体の価値とは関係ないけれど、他者との比較で何かを規定することは、普遍性という意味ではあまり幸福な考え方ではないと個人的には思うから、好き嫌いで言えば個人的にはあまり“象徴主義”は好きじゃない。
流行を嫌えば、流行に乗る人よりもむしろ流行を気にしなければならないという皮肉な矛盾が待っているからだ。もしかしたら“印象派”との差はそこにあるのかもしれないけれど。
そんな“象徴主義”の始まりは、珍しいことにイギリスだったりする。“珍しい”というのは、シェイクスピアをはじめ、“SFの父”H.G.ウェルズや「シャーロックホームズ」のアーサー・コナン・ドイル、アガサ・クリスティ、「ジェームズ・ボンド」のイアン・フレミング、といった数多くの著名な文学者を輩出しているのに比べて、僕には美術不毛の国のイメージが強いからだ。
もちろん、全く不在なのかと言うとそうではなくて、ルネサンス期にはイギリス最初の重要な芸術家として(英)ヒリヤード・ニコラス(1547~1619)がいて、元金細工師らしい細密描写で後にイギリス絵画の伝統にもなる肖像画の先駆と云われている。
他にも、ロココ期には、物語を含んだ風刺画の先駆と呼ばれる(英)ホーガース(1697~1764)、肖像画に歴史的な主題を含ませた英国王立アカデミーの初代会長(英)レノルズ(1723~1792)、そしてレノルズの良きライバルで、写実的な風景画から色鮮やかで優雅な肖像画家へ転向して英王室の寵愛を受けた(英)ゲーンズボロ(1727~1788)もいる。
とはいえ、ルネサンスではイタリア、バロックではスペインとオランダ、そしてロココから印象派まではフランス、世界大戦後の現代美術はアメリカというように、美術の中心がイギリスであったことはないというのも事実だから、美術アカデミーの師匠に訊いてみたことがある。
「イギリスに偉大な画家が生まれないのは何故なんでしょう?」
「イギリスにはシェイクスピアがいるだろ」
「いや、画家が...」
いつものように酒席だし、師匠は文学部の出身だから少々話が噛み合わないけれど、しつこく何度も聞いてみたら
「イギリスは歴史がないからなぁ」
と意外な答えが返ってきた。なんとなくだけれどイギリスというと大昔から続く貴族がいる歴史のある国だと僕が勝手に思っていたからだけれど、今でもイギリスはグレート・ブリテン及び北部アイルランド連合王国だから、なんだか複雑な文化背景があることくらいは想像できる。
しかもよく考えるとヨーロッパ史の主役は17世紀の大英帝国くらいからしかイギリスには回ってきていない。むしろ歴史がないから、歴史を重んじるだけで、英国貴族のほとんどが近現代に与えられた称号だって聞いたことを思い出した。何より師匠が言うのだから間違いない。
(つづく)