僭越ながら、著名なコラージュ画家で、テレビや出版物、ポスターに至るまで各種メディアで活躍中の木村タカヒロ画伯と、もう1年くらいラジオ番組を一緒にやらせてもらっていて、その中で「僕らの三大名画」というタイトルをつけて、お互いが好きな作品を3つずつ挙げて、あーでもないこーでもないとお叱り覚悟で勝手な話をさせてもらっている時に、彼が3枚目に挙げてきたのが(仏)ロートレック(1864~1901)『イヴェット・ギルベールの肖像』(1894年)だった。
俗に云う「世界三大名画」は、賢明な読者の方々は既にご存知だとは思うけれど、レオナルド・ダ・ヴィンチ『モナ・リザ』、ベラスケス『ラス・メニーナス』、レンブラント『夜警』というのが相場で、場合によっては、エル・グレコ『オルガス伯の埋葬』が入ってくる場合もあって、その場合には前三者からどれが漏れるのか僕には解らないから、大体そんなところが一般的には「三大名画」と呼ばれている。
もちろん、絵画そのものは研究の対象である一方で、鑑賞者の心が動かなければ、時空を超えて遺っていく訳もないから、「三大名画」は鑑賞者それぞれが思っていれば良いことではあるものの、識者たちが様々な根拠を元に決めた指標を向こうに回して、たった個人の嗜好を公共の電波に乗せて発表してしまうなど、少しおふざけが過ぎるけれど、既に放送されてしまったから仕方がない。
ちなみに臆面もなく言えば、僕は(伊)フランチェスコ・アイエツ『接吻』(1859年/ブレラ美術館所蔵)、(フランドル)ヤン・ファン・エイク『宰相ロランの聖母』(1435頃/ルーブル美術館蔵)、そして(蘭)フェルメール『デルフトの眺望』(1661年/マウリッツハイス美術館蔵)を挙げた。
木村タカヒロ画伯は、(米)バスキア(1960~1988)と(露)スーティン(1893~1943)、そして3枚目に選んだのがロートレックだった。美術の皮膚をなぞって理屈ばかりこねる僕が、物語に富んだ古典美術を選び、真摯に創作と向き合っている彼が、印象派以降に古典から解放された比較的新しい作品を選んできたのは特徴的だ。
ロートレックといえば、(仏)アルフォンス・ミュシャ(1860~1939)と共に、19世紀のパリの街並みを、華やかなポスターで彩って、芸術の都パリの礎を築いたと言っても過言ではないだろう。
なにしろフランス史上最大規模の都市整備であるオスマン計画が完成するまでのパリは、不衛生で劣悪な生活環境であったのだから、芸術どころの話ではなかった。
そして実は、木村タカヒロさんがロートレックを選んだのは意外でもあった。バスキアもスーティンも、どちらかといえばアウトローで破壊力のあるインパクトが特徴の画家だけれど、個人的にロートレックは、世紀末フランスの華やかさと、その裏にある影を、優しい眼差しでデリケートに描いた、まさに世紀末美術を代表する画家だと思っていたからだ。
(つづく)